インタビュー/岩本光弘さん
「事前に経験したことが大きかった」2014/Jul/22

米国サンディエゴでセーリングを楽しむ岩本さん

米国サンディエゴでセーリングを楽しむ岩本さん(photo by J-Sailing)

昨年6月、TVキャスターの辛坊治郎さんと共に2人乗りヨットで太平洋横断に挑み、海上自衛隊に救助された岩本光弘さん。メディアで話題になり、多くの方がご存知だろう。先日、一時的に帰国された岩本さんにお話を伺う機会があった。岩本さんの許しを得て、様々な話題の中で遭難時の様子をピックアップし、JSAF会員にご紹介する。安全なセーリングの一助になれば幸いだ。                                                                                                                                                                                                                       *
岩本さんと辛坊さんは、出港5日目に宮城県金華山の約1200km沖でクジラと思われる物体と衝突し、ヨットが浸水した。ヨットから救命いかだに乗り移り、10時間後に海上自衛隊の救難飛行艇US‐2に救助された。
岩本さんは全盲だが、12年ほど前からヨットを楽しむブラインドセーラーだ。今は米国サンディエゴに住み、再びセーリングを始めたという。(インタビュー/豊崎謙)


■経験を役に立てたい
昨年の秋ぐらいから、サンディエゴをベースに健常者の方々と一緒にオールソン35に乗って、セーリングに復帰しています。さすが、救助された直後は進んで乗る気になれなかったのですが、大きなPDSD(心的外傷後ストレス障害)はなく、今年に入ってからはレースにも出ています。

一時は、太平洋横断という自分自身の夢を実現させようとして皆さんにご迷惑をかけて申し訳ないという気持ちが強かったのですが、今はこの失敗を教訓に、将来、ぜひとも成功させたいと考えています。この失敗を、次の成功のためのステップにしたい、と。そして、私の経験が少しでも皆さんのお役に立つなら、どんなことでもしようという気持ちでいます。

米国のセーリングメディアは私の失敗をポジティブにとらえてくれており、事前に訓練していたから無事に救助されたんだと報道してくれました。
というのも、今回の計画を実行する前に、米国で同型艇(BCC28)を借りて、ロスアンゼルスからサンディエゴまでトレーニングをしました。なるべく海の荒い日を選んでオーバーナイト・セーリングをしたりもしました。

■準備の大切さを痛感
トレーニングには外洋艇のベテランセーラーをトレーナーとしたのですが、そのトレーナーが「ライフラフトには実際に触れておいた方がいい」とアドバイスしてくれ、長距離レースの前に行われるセイフティー・アット・シー(Safety At The Sea)の講習を受けたんです。そこで、膨張させたライフラフトに実際に触れ、ラフトに乗り移るための段取りも経験し、様子は掴んでいました。この経験が大きかった。

実際あのとき、船内でチャポチャポという音がして船が浸水し始めたと気づいたとき「浸水!」と声を出したんですが、その後はやるべきことをやるだけでした。相方の辛坊次郎さんがほとんどリードしてくれたのですが、自分のなかでオドオドした気持ちは起きませんでした。 セミナーで教わったことを一つひとつを実行するだけでした。

水がドンドン浸水してきて、足首を通り過ぎヒザ下まで水が上がってきたんですが、辛坊さんがラフトの準備をされている間は水を掻い出し、次に緊急持ち出し用の袋(中には衛星電話、GPS、VHF)、そして乾燥した着替えが入っている袋をピックアップするなど、今思うと不思議なくらい冷静でした。

船からラフトに乗り移るときも、セミナーで習った通り、重心を低くし、お尻をつくようにして移動し、ラフトに足をかけラフトの揺れにタイミングを合わせるようにして、「今だ!」というタイミングで滑り込むようにしてというか、転がり込むようにしてラフトに乗り移りました。私の場合、目が見えないのでかえって不安なく移動できたという側面もあったかもしれません。
準備というものがいかに大事かということを痛感しました。

■不安な時間
救助されるまで10時間、ラフトに乗っていました。私が「(太平洋横断という)夢を抱いたばかりに、こんなことになってスミマセン」と辛坊さんに言うと、「ヒロさんの目が見えなくて音に敏感だったからこそ、より早く浸水の異常音に気づくことができた。あのまま寝ていたら、かなり浸水するまで気づかずにいたかもしれない」と言われたときはホッとしました。

ありがたかったのはP3CとVHFで連絡が取れていたことでした。US2(飛行艇)が救助に来るけれど、それがだめでも本船が向かっている。夜中には到着の予定だから、といった交信ができていたので、助かるという気持ちは持ちつづけられました。

とはいえラフトの中では不安な時間を過ごしました。
やはり、人というのは弱く、「それでも本当に助かるかな」という気持ちになってきます。P3Cが位置を捕捉すると絶対に逃さないとは聞いていましたが、「もしラフトが転覆したら空のP3Cからは何もできない」という裏腹な気持ちを抱いたりもしました。また、P3Cからの「大丈夫ですか?」との問い合わせに「大丈夫です」と応えてはいたものの、「もうダメです」と言ったらどうにかなるのかなんて考えてしまうんです。このように気持ちが弱くなったときは、「ここまでやっていただいているんだから、それを信じよう」と2人で話していました。

救助を待つ間は、水を頻繁に掻い出し、なるべく濡れないようにしていました。乾燥した衣類の袋を持ち出せたので、それに着替えて寒さをしのぎました。
ライフラフトは想像したよりは揺れを感じなかったのですが、ときどき大きな波が襲ってきて、船内をブッ飛んだことがありました。

心から感謝しています
US2が来てくれた時、その飛行音が聞こえるのですが、その音が次第に聞こえなくなる。その時は再び不安な気持ちになってしまいました。過剰な期待はそれが実現しなかったときにダメージが大きくなるんですね。

その後、再びUS2の飛行音が聞こえ「今度こそ」と思ったんですが、これが再び聞こえなくなりました。「波が高く着水できずにまた帰ったんだ、過度な期待はするな」と自分たちに言い聞かせようとしたその時、今度はボートのエンジン音が聞こえ、「大丈夫ですか?」と人の声がしました。これで助かったと思いました。

当時、波高は約4m、風速は16~18mほどでした。
後で聞いた話によると、着水した飛行艇とラフトの距離は60mほどあり、波が高く飛行艇からはラフトの位置を確認できなかったそうです。だから飛行艇からどちらに向かってボートが進むかはP3Cの指示によったそうです。

飛行艇には4機のエンジンが装備されていましたが、その内の1機は波をかぶって動かなくなっていた。また、救助された時間は夕暮れ近くで、しかも波が高くなかなか着水できない状況だったそうですが、ほんのわずかな間、波がやや穏やかになったそのピンポイントのようなタイミング見計らって着水したそうです。これは飛行艇の乗組員にとっても危険な状況であり、それをおして救助に来ていただいたことに心から感謝しています。(おわり)