太平洋ひとりぼっちから60年
再び一人で太平洋横断に成功した堀江謙一さんに聞く
ソロセーラー・海洋冒険家 堀江謙一 × ヨットデザイナー 横山一郎
日本セーリング連盟はセーリングヨットによる最高齢での単独無寄港太平洋横断の快挙を称え、2022年度の定期表彰にてソロセーラーの堀江謙一さんに「栄光賞」を、ヨットデザイナーの横山一郎さんに「功績賞」を授与しました。表彰後、海洋冒険家として数々の偉業を成し遂げた堀江さんと、親子二代にわたって航海を支えた横山さんに話をお聞きました。
挑戦することに飽きることはない
——今回60年ぶりに太平洋横断の復路を達成しましたが、こんなに長いことセーリングを続けている秘訣は何でしょうか?
堀江:ヨットというのは長くやれるスポーツですから、そんなに不思議なことではないと思いますよ。僕は15歳でヨットを始めましたが、小学生でもできるし、年齢が上がってもできるし、それこそ障がい者になってもできると思うんですね。競技としてはどうか分かりませんけど、乗り物として目的地に向かっていくのは簡単なことだと思いますね。
——でも堀江さんの場合は太平洋横断だけではなく、世界一周も何度も達成し、様々な大きさのヨットでもひととおり挑戦しています。
堀江:挑戦することに飽きることはありませんね。毎日でもいいんじゃないですか(笑)。まぁ毎日はあれですが、毎年でもいいんじゃないかと思っています。
——ということは、次の挑戦は?
堀江:これまでもコンスタントに挑戦を続けてきましたから、特別なことではなくこのまま流れていくと思います。はっきりしているのは年齢を足していくということでしょうね。
——日本近海を巡るようなこともありますか?
堀江:それも楽しいと思いますよ。これまでも友人と九州一周など楽しんできました。特に瀬戸内海は何度も帆走しています。良いところですよ。途中で出会ったセーラーと、入港する漁港への連絡のタイミングについて、入港前がいいのか、入港後がいいのか、それとも地元の民宿から連絡してもらったほうがいいのかなんてことをディスカッションしたり、そんなことも楽しいですね。
海に出る人のマナーは確実に良くなっている
——今回、60年ぶりに当時と同じ19フィートのヨットで太平洋を横断しましたが、環境の変化など感じましたか?
堀江:最初の航海の時も今回も、漁具は流れていました。ただ昔の漁具はブイがガラス玉で、今はプラスチックになっていますから、海の中のことまでは分かりませんが環境に影響はあるかもしれませんね。
ただ、最初の航海の時は船から流した廃油というんですか、油が流れていることが多くあったんです。昨年の航海では一度もそれに遭遇していません。昔は世界一周なんかすると、僻地でも廃油が流れていましたからね。逆に言うとそういうところの方が流しやすかったのかもしれません。海に出る人が、昔と比べてマナーが良くなってきているんじゃないかと思います。
時代の変化に合わせてデジタル機器も導入
——昨年の航海ではアナログ計器、六分儀とか紙の海図とかは持っていったのでしょうか?
堀江:積みました。六分儀は僕、何台も持っていますので、スペースはとりなりますが積んでいきました。六分儀だけではなく一緒に使う天測略歴も積んでいました。それがないとポジションが出しにくいですからね。時計はクロノメーターを持たなくてももう大丈夫だと思いましたので積みませんでした。紙の海図ももちろん用意しました。
——実際に使いましたか?
堀江:使いません。紙の海図は見ましたが、六分儀は使いませんでした。昨年はスマホに入っているデジタル海図を主に使っていましたね。パソコンにデジタル海図を入れている時代もありましたが、今はスマホがパソコン代わりです。
——新しい計器や艤装品を取り入れるのは楽しいですか?
堀江:楽しいねぇ。だから航海しなくても新製品が出る度にワクワクして見ています。ラーメンの新製品が出ただけで(次に持っていこう)と楽しみになります。
——ヨットの上での食事はどういうものを?
堀江:基本的になんでもいいんです。何か食べておけば。ただ今回に限らずメインはカレーですね。今はレトルトができましたから便利ですよ。缶詰もありましたけど、レトルトのほうが詰め込みやすいですからね。昔は缶詰をたくさん積んでいましたが、ヨットが横倒しになると缶詰がロッカーから出てきちゃって、ローリングする度にゴロゴロ〜ゴロゴロ〜って。もう四角い缶詰はないんか!と思ったぐらいです(笑)。
1本だけ特注した“堀江スペシャル”のブームバング
——予備パーツなどはどのくらい用意したのですか?
堀江:ウインドベーンの羽などはスペアを積んでいましたけど、壊れませんでした。痛むところは大体決まっているので、要するに動くところなので予備を積みますが、(最近は)結構頑丈にできていて簡単に壊れないですね。ただ予備がある安心感はあります。
——横山さんは堀江さん用に何か特別な設計をしたのですか?
横山:特にリクエストはなかったですね。19フィートなのでできることも限られています。ただ体力が消耗しないようにハードドジャーを付けたり、「ドジャーのこの部分にも窓があるとセールが良く見えるんだけど」と言われてそのように改良したり。そこは堀江さんと話をしながら造り上げていきました。
——ほかに“堀江スペシャル”はありますか?
横山:見た目じゃわからないのが例えばブームバングかな。堀江さんから「一定の位置から下がらないようにしてくれよね」とリクエストがありました。下がりすぎると、掴まるとよろけるのでということで。
それで稼働範囲を決めることにしたんですが、意外に設計するのが難しいんですよ。ブームバングは念入りに設計しました。ピンを入れ替えると稼働範囲を制限できるようにして、何度もピンを入れ替えて確かめて、一番具合の良いところでそれよりも下がらないようにして、綿密に描いた図面で1本だけバングを特注で作ってもらいました。
——次はどんなヨットを作ってもらいますか?
堀江:まぁ基本的に何もしないで行けるヨットを(笑)。デッキでウロウロしているとその分、危険ですから、なるべくそれを減らしてコントロールしたいなと思っています。原点はそこですね。
——できそうですか?
横山:まぁできるんじゃないですか。全部を叶えるわけにはいかなくても、要所要所でできれば。例えばバウに行かなければいけない仕事が半分になるとか、そういうことはできるでしょうね。
今回は航海の後半、小笠原を越えてからは頻繁に電話で連絡を取っていました。85%は天気の話です。最近は天気予報アプリがたくさんあるじゃないですか。堀江さんの位置は分かるので、アプリをチェックしてその情報を伝えるということをしていました。僕は主にWindy.comを使っていました、それの無料版をね(笑)。朝起きるとすぐにチェックして、海上保安庁の黒潮情報も見て伝えていました。
当初は〈マーメイドⅢ〉のネット環境でも天気予報アプリがチェックできると思っていたのですが、衛星電話回線のネットスピードがそこまでなかったようです。だから最後のほうは、パーソナルナビゲーターのような感じでした。
堀江:ちょっとね、世話になりすぎたと反省しているんですよ。今から思うとあのヨットは艇速があるから、半分ぐらい横山さんのアドバイスを無視しても平気だったんじゃないか、黒潮をぶっちぎれる能力があったんじゃないかと思うんです。安全を考えてのことですが、もうちょっと大胆にいっても良かったかなと反省しています。
横山:僕自身が太平洋を渡れと言われたらたぶんできないので、一緒に太平洋を渡らせてもらったように感じて本当に楽しませてもらいました。
——今後の挑戦も楽しみにしています。今日はありがとうごいました。
インタビュー実施日:2023年1月28日(東京都新宿区、Japan Sport Olympic Squareにて)
堀江謙一さんのこれまでの航海
●1962年:ヨット「マーメイド号」単独無寄港太平洋横断(94日)
●1973~1974年:ヨット「マーメイドⅢ号」単独無寄港世界一周(ホーン岬西周り275日)
●1978~1982年:ヨット「マーメイド号」縦回り地球世界一周航海
●1985年:ソーラーボート「シクリナーク号」で世界初のハワイ・ホノルル~父島間の単独無寄港太平洋横断航海
●1989年:全長2.8mの太平洋横断では世界最小の小型ヨット「マーメイド号」で単独無寄港太平洋横断(サンフランシスコ~西宮港)
●1992~1993年:足漕ぎ(ヒューマンパワー)ボート「マーメイド号」で単独無寄港太平洋横断航海(ハワイ・ホノルル~沖縄)
●1996年:アルミ缶リサイクルのソーラーパワーボート「モルツマーメイド号」で単独無寄港太平洋横断(エクアドルサリナス港~東京港)
●1999年:業務用ビール樽を利用したリサイクルヨット「モルツマーメイドⅡ号」で単独太平洋横断(サンフランシスコ~明石海峡大橋)
●2002年:ウィスキー貯蔵樽材、ペットボトルのリサイクル材を利用したヨット「モルツマーメイドⅢ号」で単独太平洋横断(新西宮ヨットハーバー~サンフランシスコ)
●2004~2005年:「サントリーマーメイド号」単独無寄港世界一周の航海(ホーン岬東周り250日)
●2008年:波浪推進船(カタマラン)「サントリーマーメイドⅡ号」で単独航海(ハワイ・ホノルル~紀伊水道)
●2022年:ヨット「サントリーマーメイドⅢ号」で単独太平洋横断(サンフランシスコ〜西宮沖69日)