
三浦恵美里氏(元ニッポンチャレンジアメリカ杯)の司会の下、冒頭に黙禱が捧げられ、その後、河野博文JSAF 前会長の開会の辞で始まり、依田誉氏(サンバードクルー代表)、鹿取正信氏(ニッポンチャレンジテクノロジーマネージャー、ノースセール社長)、福島洋二氏(早稲田ヨットクラブ前会長)のスピーチの後、山崎明裕氏の家族代表のご挨拶、そして最後に馬場益弘JSAF会長の挨拶で締めくくられた。
会場には200人近い参列者が集い、献花の後は故人の思い出を語り、旧交を温めるなど賑やかな集まりが好きだった山崎達光名誉会長にふさわしい和やかな会だった。(撮影/濱谷幸江)
故山崎達光氏略歴
1934年、東京生まれ。
57年早稲田大学商学部を卒業し、エスビー食品株式会社に入社。83年代表取締役社長、89年代表取締役会長を歴任。
大学卒業後、サンバードのオーナーとして外洋レースに挑み、第1回八丈島レースでのファーストホームを皮切りに、第1回沖縄レースで2位入賞のほか、ワントンカップ、ダンヒルカップ、アドミラルズカップ、ケンウッドカップ等々、世界中のヨットレース界で活躍。
1992年、ヨットレースの最高峰「アメリカズカップ」に、ニッポンチャレンジアメリカ杯としてアジアから初めての挑戦を果たす。92年、95年、2000年の3回の挑戦ではいずれも挑戦艇選抜シリーズ「ルイ・ヴィトンカップ」でベスト4に進出。世界のセーリング界にその名を刻んだ。
日本外洋帆走協会、日本ヨット協会の役員を務め、99年日本セーリング連盟の発足に尽力し、副会長に就任。会長、名誉会長を歴任。在職中はシドニー五輪、アテネ五輪、北京五輪の選手団長など、日本のセーリング界に多大な貢献を果たした。
2020年12月6日没。