オリンピック特別委員会 
オリンピック特別委員会

北京オリンピックが終わりました。トップページに報告書を掲載してありますが、北京を目標に現在のオリ特がスタートしてから代表選手を選考し、結果が出るまでのことを今一度振り返っていただき、次へのスタートの参考にしていただけたらと思います。

選手もそれぞれの新しい1歩を踏み出しています。メダルの期待がかかっていた「コン・カマ」はレースの後も多くの方から励ましの言葉をいただきました。

「小さい頃からの夢であったオリンピックという舞台でのセーリングは、本当に最高で気持ちよかったです。
 私がオリンピックを目標にしてから、代表になるために、考えられるすべてのことをしてきました。良きパートナー、コーチ、環境にも恵まれヨットに打ち込むことが出来ました。この4年間は、オリンピックで勝つために必死で戦ってきたので、ひたすら前を見続けてきました。辛いから辞めたいなど、後ろ向きなことは少しも考えませんでした。それは、応援してくださる皆様がいたからできたことです。
 オリンピックでは、自分が思い描いていたような結果が残せませんでしたが、最後の最後まで、諦めずにレースをすることができました。たくさんの声援が私の背中を押してくれました。
 メダルレース − 自分がそこにいるはずだったことを考えるとすごく悔しかったです。その時初めて、あの時こうしたら・・・という後ろ向きなことを考えていました。
 今は、色んなことが頭の中をめぐっていますが、今回経験したことを、必ず次に繋げていきたいと思っています。
 オリンピックに出場できて良かった!挑戦して良かったです!
 そして、皆様からの沢山のご支援とご声援に心から感謝します。本当に、ありがとうございました。」 
近藤愛

「メダルには遠く及ばなかった14位という成績でしたが、ただひたすらに北京を目指して活動してきた4年間という時間、日の丸を背負って、青島の海でオリンピックというレースを戦えた事は私にとって宝物です。たくさんの応援に励まされ、力をもらいました。本当にありがとうございました。」  鎌田奈緒子

470女子はメダルを狙える実績をもったチームでしたから、全国のセーリングファンを悲しませてしまったと思います。しかし、悔いがあるなら、リベンジすれば良いこと!起きたことを振り返るのは決して後ろ向きではありません。次への1歩ですから、また一丸となって先へ進みましょう。

「子供のころからの夢、オリンピック。この夢が、この夏かないました。ここまで来るのにさまざまな困難があり、悔し涙をたくさん流しましたが、たくさんの人に協力、支援を受け、応援され、代表になることができました。
 私は、ほかの選手と違い父親の仕事を手伝いながら、オリンピックを目指してきました。その為、時間的にも金銭的にも他の選手よりも厳しい環境だったと思います。レーザーというクラスはこのような選手でもオリンピックを目指すことができる、唯一のクラスなのかもしれません。そのせいか、代表決定後はマスコミにもたくさんとりあげられました。(実際に有名になったのは私よりも父親のほうでしたが・・・・)。
 たくさんの人に応援されチンタオに送り出されたのですが、結果は皆さんの期待する成績ではなかったかもしれません。しかし、チンタオでベストのパフォーマンスを出すために合宿や遠征を繰り返し、今までで一番レーザーを速く走らせることができる状態、体や心もベストのコンディションで本番を迎え、全力でセーリングをしてきました。
 ベストで臨んだ北京オリンピック。後悔はありません。
 今回のセーリングチームは残念ながら、メダル獲得はできませんでした。しかし、われわれの北京チャレンジを見て、オリンピックという夢を見る若い子が少しでも多く現れたら・・・と期待します。
 最後に今回のオリンピックキャンペーンに協力していただいた皆さん。長い間のご支援、ご協力、本当にありがとうございました。また、何処かの海でお会いできることを楽しみにしています。」 
飯島洋一

レーザーは上位にいくのが厳しいクラスです。10年前に今回と同じ取組を始めていたなら、今回までに飯島選手も世界の頂点へとたどりついたかもしれません。ユース世代から10年計画で五輪選手を育成しなければメダルに届くレベルにならないと確信させられらた青島でした。その経験を後輩へ伝えてください。

「夢を追い続けてなりふりかまわず走り続けてきました。
 いろんな犠牲を払い、周りに迷惑を掛けながら活動してきましたが、それでも人に恵まれ多くの方々から勇気をもらいました。人は一人では何もできない事、しかし人の思いが集まれば何事も可能になるという事を学ばせてもらいました。
 これからオリンピックを目指す選手達に伝えられる事があるとすれば、どんなに強い相手であろうとも、自分自身が一番手強いという事。自分自身に甘えなく打ち勝つ事ができれば、どんな相手にもひるむ事なく立ち向かえるものだと思っています。周りに惑わされる事無く、強い自分創りに励んでください。
 改めて関係者の皆様へお礼を述べたいと思います。ありがとうございました。」
石橋 顕

「僕はオリンピックが楽しかった。何が楽しかったかというと、メダルを狙う選手やトップレベルの選手の中に入って、1つ1つのレースでは勝負するレース展開で対等にに争うことができたからだと思う。だから、もう1度トライしますので、よろしくお願いします。」 
牧野幸雄

これからは家族のために生きます、といって、地元企業に就職した石橋選手。これからも選手を続けるために就職しようとしている牧野選手。470やレーザーから49erへ転向して、前に進むたびに未来がみえてきた二人でした。福岡からの大応援団が青島ヨットハーバーの岸壁に陣取って応援する姿は圧巻でした。一番大切なのは、目標に向かって努力をする選手自身の情熱であり、石橋・牧野組はその力ですべての困難を解決していきました。また、470男子の松永・上野組も同じように苦労の連続でしたが、チーム唯一の入賞を果たして、結果をだしてくれました。

「キャンペーン始めた頃、最初はどうなるかと思ってました。でも、結果的にはやれることやって、目標が達成できて、満足のいくオリンピックでした。でも、入賞と10位が大きな違いがあるということは、帰国してからわかりました。メダルレースでのジャンプアップは大きかったです。」 
松永鉄也

「僕にとって初めてのオリンピックは、とても面白く一瞬で終わってしまいました。レース本番では、日の丸を背負う重圧を感じつつも『自分が主役』という事に大興奮!
 もちろん日本代表になるまでは苦労の連続で、資金集めの為に多くの会社に飛び込んで営業したり、生活費を稼ぐのに定食屋でバイトしたり。。。
 遠征中は炊飯器と米を常に持ち歩き、知人の家に泊まる事で経費を圧縮。今更ながら「よくやったなぁ〜〜」って事ばかりだけど。でもこの経験は本当に価値のある物だと思います。
 もし、最高峰の舞台に一度でも興味を持った人は、是非諦めずに挑戦して欲しい!それだけの価値があると思うから!」  
上野太郎

 470男子は7位で入賞。帰国後に日本選手団のメダリスト、入賞者はいくつものイベントに出席してきました。僅差で入賞を逃したRSXの
富沢慎選手は、「僕は次も狙います。今回は行く前、RSXはおまけと思われていましたけど、それなりの結果が出ましたから、よかったと思います。次はもっと上を目指してやりたいと思っています。」
 RSX女子の
小菅寧子選手は、「オリンピックはめざしがいのある目標でした。終わった今、すぐに次を狙うとはいいきれないですが、自分の中でチャレンジすると決めたら、今回よりももっといろいろなことを考えてやりたいと思います。北京オリンピックまでは多くの皆様にお世話になり、ありがとうございました。」

最後はスタッフを代表して中村監督のメッセージです。

「先ずは、応援していただいたセーリングファンの皆様に長期に渡りご声援頂きました事に感謝いたします。
 また、正々堂々と最後まで諦めずに頑張ってくれた選手達に『ありがとう』と言いたいです。
 オリンピックは今回で終わる訳では無く、すでにロンドンに向けた戦いが始まっています。私自身も何らかのかたちでオリンピックでのメダル獲得に今後も貢献していきたいと思います。
 メダル獲得が『夢⇒目標⇒目的』という形に変わるように次に向けて、力を合わせて頑張りましょう。」 監督・
中村健次