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白石康次郞さん
ヨットで世界一周する魅力ってなんですか?

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photo by Yoichi Yabe

[プロフィール]
白石 康次郞(しらいし こうじろう)
1967年、東京生まれ。相模湾に面した鎌倉市で育ち、海への憧れから神奈川県立三崎水産高校へ入学、機関科を専攻。1986年、第1回BOCチャレンジ(単独世界一周ヨットレース)優勝の故・多田雄幸氏に弟子入りしヨットの世界へ。1990〜91年、第3回BOCチャレンジ出場の故・多田雄幸氏をサポートし、世界各地を飛び回るが、大会期間中に師匠の死も経験する。1994年、史上最年少(当時26歳)でヨットによる単独無寄港世界一周を達成。2002年、アラウンド・アローン(元BOCチャレンジ)に挑戦しクラスⅡ4位。2007年、日本人として初めて、ファイブ・オーシャンズ(アラウンド・アローン改め)のクラスⅠに参戦し、2位でフィニッシュの快挙を成し遂げた。ヨットでの挑戦だけでなく、エコ・チャレンジやレイド・ゴロワーズなどの人力耐久レースの出場、BS番組での名峰登山、また親子でヨットやカヤック等を体験できる海洋プログラム「リビエラ海洋塾」の開催など、幅広く活動している。

--- なぜヨットに乗ろうと思ったのですか?

最初は海に対する好奇心でした。鎌倉という海がある場所で育ったおかげで、海は大きいな、海を越えてアメリカへ行ってみたいな、船で世界一周してみたいな、と子ども心に思ったわけです。

小さいころは軍艦が好きで、家族と一緒によく横須賀へ見に行っていました。でも自衛艦で勝手に世界一周することはできないでしょう(笑)。そこで、最初は商船に乗ろうと思い、昔から機械いじりが好きだったので、水産高校に入学し機関科を専攻したのです。

僕が若いころ、地球上にはまだ測量されていない場所があって、南太平洋やホーン岬の沖のチャート(海図)には、「よく分からない」と書かれていました。夢があるでしょう。僕は好奇心旺盛だったから、船に乗って世界一周したいとワクワクしましたよ。

そんな時に、多田雄幸さんという日本人が、世界一周ヨットレースで優勝したと知り、びっくりするのです。さらに衝撃だったのが、多田さんの職業がタクシーの運転手だったということです。

当時、世の中はバブルの始まりで、ヨットと言えば金持ちの道楽という風潮でした。ところが、多田さんはタクシーの運転手をしながらヨットを自作して、その船で世界一周レースに優勝したわけで、庶民にとってはすごく勇気の湧く話でした。多田さんはある意味、ヨット界に革命を起こしましたよね。

高校生の時に多田さんの偉業を知って、自分も一人でやってみようと思いました。それで、多田さんに弟子入りしたのです。

--- 多田さんからはなにを教わりましたか?

多田さんに弟子入りしてびっくりしたのは、まさか自分が船酔いするとは! ということです。水産高校時代に、船乗りの基礎をいやというほど叩き込まれたのに…。機関科は海洋実習でワッチの時には、エンジンルームに4時間立ちっぱなしです。酔って、酔って大変でしたが、酔っても持ち場を離れることはできません。教官はものすごく厳しく、とにかく厳しく鍛えられました。

一方、多田さんから教わったのは「楽しさ」です。多田さんは廃材からヨットを造ってしまうような人で、応用力がすごい。絵も描くし、ヨットの上ではアルトサックスを吹いて、みんなを楽しませてくれるエンターテイナーでした。

多田さんから技術的なことや、セーリングテクニックを教わったことはありませんでしたが、もっと大きなものを学びました。例えば、世界一周レースに出場する初期のヨットは、強く頑丈にするために重いものだったのに、多田さんの船だけはカーボンを使って軽くしたり、滑走型のチャイン形状を取り入れたり、革新的でした。その後、軽排水量のヨットが世界一周レースの主流になっていくことを考えれば、いかに先見の明があったかは推して知るべしですよね。

ヨットに関しても、多田さんはアーティストでした。突き抜けるような感性があったのです。ところが、二度目の挑戦の時の船は非常に不安定で、レース中に3回も転覆していました。成績不振で周囲の期待に応えられないと思った多田さんは、寄港地のシドニーで自ら命を絶ってしまうのです。

師匠の船が何度もひっくり返るのを見て、機関科出身の僕は構造計算をしたほうがいいのではないかと思っていました。ベテランのヨットデザイナーもそう進言していましたよ。でも取り合わなかったのです。後で計算したら、よく帰ってこられたな、という数字だったのです。師匠が亡くなった時、何事もバランスが大事なのだと痛感しました。

つまり冒険というのは、誰もやらなかった大きなことを、
誰よりも繊細にやる作業だということです。


その後、僕は多田さんの船に科学のメスを入れて改造し、二度失敗しながらも三度目の正直で、ヨットによる最年少単独無寄港世界一周を達成します。1994年、26歳の時でした。それができたのは、水産高校時代にとことん鍛えられたことと、ヨットって楽しいよという師匠の教えがあったからですね。

--- 世界一周レースの魅力ってなんですか?

2002年に「アラウンド・アローン」、2006〜07年に「ファイブ・オーシャンズ」と二度、単独世界一周レースに挑戦しました。過酷なレースですが、楽しかった! なにが楽しかったかというと、世界中に家族ぐるみでつき合える友人、いや戦友ができたことですね。

単独世界一周レースは、その名のとおり海の上では一人ぼっちです。いくつかの港に寄りながら世界を回るわけですが、スポンサー探しから船の準備、そしてレース中に次々と嵐が襲ってくる状況まで、お互いの苦労が手に取るように分かるわけです。だから出航前には、自然とみんながそれぞれの船に挨拶に行くのですよ。

その時にかける言葉は、「グッドラック」ではなく「セーリングセーフ」です。いつ死ぬかわからない…ということをみんなが感じているから、この言葉を選ぶのでしょうね。

普通のスポーツって、試合時間はせいぜい2時間ですよね。プロ野球が長いと言っても3時間超える程度。でも世界一周レースは4000時間です。良いときもあれば、悪い時もあります。そして、いやでも自分と向き合うことになる…それが案外、ヨットレースの魅力なのではないかと思っています。

もちろん地球を相手に仕事ができる、それも実にやり甲斐のあることですね。

kiku_2_shiraishi_1僕の次の目標は、単独無寄港世界一周レース「ヴァンデ・グローブ」に、日本人が設計し、日本で造ったヨットで出場することです。アジア人初を狙っていますが、クリアすべき課題は山積ですね。でもその過程で設計から造船、マネージメントまで、世界一周レースに挑戦できるセーリングチームを作り、ノウハウを蓄積して次の世代に繋げたい、という夢を描いています。海に囲まれた日本だからこそ、国中を巻き込みながら世界に挑戦したいのです。

そのためには、まずはセーリングのファンを増やすこと。それを今、黙々とやっているところです。ヨットっていいですよ。肉体は疲れますが、心は本当に軽くなります。もちろん世界一周だけではない、いろいろな楽しみ方がありますから。

インタビュー/西朝子
右写真 photo by Yoichi Yabe
2015年5月29日掲載